この「小説入門」は、1988年に、とある文学同人誌に掲載したものです。
当時、私は、ひまさえあれば小説を読んでいるか、書いているかをしておりました。
作品も、15作品目くらいを書いていた時期です。
短編では、地方紙での小さな文学賞なども数回ゲットしていた時期です。
つまり、小説の修行時代といえるかもしれません。
だから、私個人的な意味においては、これは私の小説入門ではありません。
ただ、小説がどのようにして出来てゆくのか?・・という問いかけに対して、そのパターンとはこういうモノではないだろうか。という、私なりの一つの見解を、小説の形で書いてみようとした作品です。
私の小説に対する思いは、「面白くなければ、小説じゃない」の一点です。
これは、小説に限らず、寄席でも、芝居でも、TVドラマでも、映画でも、同じことです。
ただ面白いだけじゃだめだ、という評論家もいますが、面白くないものが人を惹きつけるでしょうか。
やはり面白くないものは、不成功な作品だと思うのです。
最初から面白いとなれば、いうことなしです。
そして読んでいて面白い、また読み終わった後、面白かったという読後感がなければ、成功とはいえません。
もっと欲をいえば、面白くて、途中でやめられない。・・という作品が理想です。
この「小説入門」、私てきには、けっこう面白く書けた作品と思っております。
それに、実際の小説を書く上でのヒントがおもしろく埋め込まれているので、ある意味実用書的な側面も持ち合わせているとも思っています。
私も何度か読み返してみて、今回、私のためにも、載せておこうと思いました。
今後、小説を書いてみようとしたとき、参考にしてみようかな・・といった思いです。
原稿用紙にして60枚になります。
部類としては短編に属しますが、一気に読もうとすればちょっと時間が必要です。
ブログに載せるには、ちょっと長い気もしますが、数回に分けることなく、一回で載せることにしました。
少しでも参考になれば、嬉しく思います。
あ、そうそう、それもそうなのですが、春秋の山菜取りのシーズンが来る度に、私はこの「小説入門」が思い出されて仕方がないのです。
それが、本音かもしれません。
何を言っているのか分からない方は、読んでいただければ理解できます。
(筆者よりの解説)
—————————————————————–
小説入門
1
『キノコ採りのお年寄り夫婦帰らず』(十月九日付・○○新聞)
七日午前十時頃から、キノコ採りに行くといって前沢連峰(主峰一七九八メートル)に出かけたF市に住む無職水木豊三さん(六七)ハルさん(六二)夫妻は、七日夕方になっても帰らず、家族がF署に届け出た。このため同日八時過ぎから地元警察と消防団が地元山岳会の協力のもとに捜索に向かったが、濃い霧に拒まれて十一時過ぎに捜索を一旦打ち切った。翌八日は午前八時から捜索を行う。なお地元警察署では、キノコ採りシーズンの事故を最小限に食い止めようと、これから山に入る人達に十分注意するよう呼びかけている。
この記事は社会面の下段の隅に小さく載っていた。何気なくこの記事に眼をやったとき、鷲宮武則は何かヒントを得たような気がした。いつもなら読み過ごすか、気にも留めないで次のページへと進めるのだが、小さな隅っこの記事にまで注意を払うようになったのは、やはり小説を書いてみようという気の表れかもしれない。
しかし、彼は高校時代に新聞部で貧しい文章を書いたことはあっても、その後の日常で手紙以外に文章なるものを書いたためしがない。そこに小説を割り込ませようというのだから、それは所詮無理な話に違いないのだ。いざノートパソコンの電源を入れてワープロを立ち上げても、彼は何をどう書いたらよいのか見当さえもさえも付かない。
そこで、彼は、まず小説とは何モノなのかを見極めるために、ノートパソコンをそっちのけにして小説なるものを片っぱしから読みあさった。そして気に入ったものを2、3冊選び、その中の一冊を十回くらい読み返し、自分の小説作成のための教科書とすることにした。当然その間、ノートパソコンの上にはホコリが溜まり、妻の伸子からの嘲りに似た薄笑いや、中傷、脅迫にも耐えなければならない。
ようやく小説の何たるかを掴みかけた彼は、そこでいよいよ何を書くべきかという課題にさしかかっていたのである。
『キノコ採りのお年寄り夫婦帰らず』の記事を見たからといって、これは小説になるのではないか…と思ったのは、何も今回が初めてではない。『猛スピードの二輪少年、雨の日の自爆』というのもヒントと思ったし、『掛け軸を盗まれる』という記事を眼にした時だって、その背景にモヤモヤした小説の材料になるものが潜んでいるようにも思えた。『 キノコ採りの…』の記事も単にそれらの一種で、ただこの記事に特に注意が向けられたとすれば、それは老夫婦と書かれずに『お年寄り夫婦』と記されているくらいなものだったかもしれない。
その『お年寄り夫婦』がその時どのような境遇にあり、どんな苦しい体験を強いられているかまでは考えが及ばず、結局、鷲宮武則も一読者の立場でその事件を通り過ぎたのである。
しかし、やはりこの事件を本格的に書いてみようと彼に思い立たせるに至ったのは、四日後の新聞だった。もうその頃は、彼もこの記事のことなどは忘れてしまっていたといっていい。その記事とは、
『キノコ採りの老夫婦、県境越えて四日後の生還』(○○新聞・十月十二日付)
十月七日に前沢山へキノコ採りに行ったまま帰らず、家族らに捜索願いが出されていたF市戸井町無職水木豊三さん(六七)、ハルさん(六二)夫妻は、十一日正午ごろ前沢連峰S県側の猿落沢地区で、岩の陰に身を寄せ合っているところを捜索隊員の手によって無事保護された。二人は衰弱は激しいが、かすり傷のほか外傷はなく、一週間ほどの入院の後に家族のもとへ帰れる見込みだという。二人は七日のキノコ採りの後、午後三時ごろ下山しようとして道に迷ったものらしい。九日の雨は山頂付近ではミゾレになっており、二人の安否が気づかわれていた。なお、もう少し早く救出できなかったのかという声もあり、遭難者が県境を越えた場合の対応の仕方に問題を呈した。
この記事を眼にしたとき、鷲宮武則は何か漠然とではあるが、ついに小説の糸口を掴んだように思えたのだ。何をどのように書くかまではその時はまだ考えは及ばないのだが、この人達の遭難から発見までの四日間は、小説になると思ったのである。主人公はもちろん遭難者の老夫婦で、この人達が遭難に遭うまでの家庭での生活とか、遭難中の家族の様子など、そこには多彩な物語が影を潜めていそうで、これは絵になる--と、単にそう思ったのである。もちろん鷲宮武則には、この老夫婦やその家族、それに遭難の様子など分かろうはずがないから、そこは自分で勝手に創って書くことになるのだが。
そう思うと、彼の網膜の裏側には早くもこの遭難老夫婦が現れ、勝手に動き始めているような気がした。
しばらく振りにノートパソコンを持ち出した夫に、
「あら、珍しいこと」と、妻の伸子は声をかけた。
「とうとう、書く気になったのね」といって、彼の脇に立つ。
「お前があまりにもうるさくいうからね。…小説の一つや二つ、俺にも書けるんだというところを見せておかなくっちゃね」
「うわぁ、頼もしい。やはり文学部卒の元新聞部の部長さんは違うわ。もう諦めたのかなって思ってたのよ、私」
「バカいえ。何のために少ない小遣いの中からノートパソコンを買ったんだい。今に見てろよ、どでかい小説を書いて世間のヤツらをアッといわせてやるから」
「ヤッホー!」
妻の伸子はスポーツクラブ出身である。高校時代はソフトボール部の部長をやっていたこともあり、何かというと文化部出身の武則を馬鹿にし、体力でねじ伏せようする悪いクセがある。今回は彼のほうが、ノートパソコンを買い求める段階において、すでに何物かを書いてみようと思っていたのだから、妻の伸子に指摘されて書く気になったのではないのだが、形の上では、やはり彼女にねじ伏せられた格好となっていた。
鷲宮武則は、大町商事という家庭用品全般を扱う、おもに地方のスーパーやデパートなどと取引のある中小企業の販売促進課で、二年前から主任をやっている。妻の伸子は結婚する以前はそこの経理部で事務をやっていた。いわば職場結婚だが、もとをただせば伸子は同じ高校で武則より五年後輩にあたる。そして、いまは小学五年と小学二年の二人の娘があり、一家四人家族である。
「それで、何を書くの?」
といって、伸子は武則のノートパソコンを覗き込む。
「まだ何も書いてやしないよ。これから書こうとしているんじゃないか」
武則は、ノートパソコンを立ち上げて、腕組したまま、眼を閉じた。
テーマというか、書くべきものは決まったのだが、その構成をどのようにしたらよいものか迷っていた。
武則は眼を開けて、新聞の切抜きを取り出し、ノートパソコンのキーボードの上に置いた。
「できれば、完成するまで秘密にしておくつもりだったけど、お前のことだから見るなといっても見るだろうし、どうせバレるだろうから最初に見せておくよ。…実は、これを書くつもりなんだ」
といって、武則はその切り抜き記事を伸子に見せる。
「なあに、これ…」
といいながら、伸子はその記事を手に取り、眺めていたが、
「なんか、地味なものを書くのね。私はまた恋愛小説とか、赤川次郎ばりの明るいミステリー風なものでも書くのかなと思っていたわ」
といって、不満そうな眼で武則の眼を見る。
「がっかりした?」
「うん。…でも、こんな記事が本当に小説になるの?…」
「ああ、なるよ。モチーフとしては立派なもんさ。…ただ、どう書くかなんだよな。問題は」
武則は、妻を相手にしながらしゃべっている間にも、頭の中では構成をあれこれ考えていたのだが、まとまらず、大変なものを手がけてしまったと、半ば後悔に似たものさえ感じ始めている。
小説などは、材料さえそろえば、すぐにでも書けるものだとたかをくくっていたのだったが、そんな生易しいものでないことも分かり始めてきている。
「それにしても、お爺ちゃんとお婆ちゃんの遭難物語だなんて、なんか色気がないわねぇ…」
などと、伸子はいっていたが、もう一度新聞記事に目を通すと、
「六七と六二というと、ちょうどうち(実家)の父や母と同じ年齢よ、この人達。五才違いでしょう、ほら、同じだわ。ということは、私達とも同じよね。五才違いで。…うわァ、よく生きて帰ったものね。四日間も。奇跡ね、この人達。…うちの田舎の山にもキノコがたくさん出るのよ。父もよくキノコ採りに山に入っていたけど、今はどうなのかしら?…。なんかうちの両親みたいに思えてくるわ、こんな記事を見ると」
と、ひとりでぶつぶつと何やらつぶやいている。妻の郷里は、栃木の山の中なのだ。
「まあ、何を書いてもいいけど、とりあえずは、今の仕事に支障をきたさないように頑張ってちょうだいね。あなたはやり始めると何にでも夢中になってしまって、見境がなくなるんだから」
「…文学賞はもういいのか?」
「宝くじの世界といったのは何処の誰だったかしら。当たるか当たらないか分からない宝くじを買う気は、やはり今の私にはないみたい。それよりも、今の会社で、四十歳くらいまでに課長さんにでもなってもらって、課長夫人の座を射止める方が確実性があって簡単なように思えてきたわ」
「なんだよ。この前までは、あなたには隠れた才能があるように思うの、などといって、書け書けと、騒いで人をその気にさせておいて、もう見限るのかい」
「違うのよ。考え方を変えてみたの。あなたにその方面の才能が本当にあれば、もう今頃はその道を歩いているはずでしょう。才能のある人っていうのは、他人からホイホイいわれてやるもんじゃないのよね、やっぱり。それを私ったら気が付かずに、あんな風に書け書けと煽り立ててあなたを追い詰めてしまって、悪いことしたなって思っているの」
「つまり、俺にはその才能がないっとことか。…」
あ~あ、と、武則は両腕をいっぱいに広げて背筋を伸ばす。その手を下げながら、脇に立つ伸子の尻にわざと手を触れた。
「ほら、すぐそれなんだから…」
といって、伸子はその手からするりと逃れると、
「あなたって人は、本当に何を考えているのか、私はさっぱり分からないわ。いまから小説を書こうとしている人がそれなんだから。どこまで真剣なのかが分からないわ」
伸子はそういうと、新聞の切抜きを武則の前に置くと、そのまま部屋を出て行った。
再び武則は一人になると、新聞の切り抜き記事を手に取り、いま一度眼を通した。
読み進めるうちに、まだ主人公の老夫婦に名前も付けてやってなかったことに気づく。それから、登場人物の一覧表も作らねばと思い立ち、その作業にとりかかった。
————————————
【お詫びと、ご報告と、謝意】
2018年3月15日、上記作品「小説入門」は、「どうする」のタイトルで Amazonキンドル出版より、電子出版することになりました。
これまでに、多くの皆様に読んでいただき、ありがとうございます。
もしよろしければ、以下より続きを読んでいただければ嬉しいです。
コメントを残す