久しぶりに立ち読みでなく、財布の紐をほどいて買った本に「文芸春秋9月号」があります。
例の、話題になった又吉さんの芥川賞作品が載っているからでもあったのですが、その他の記事にも、せっかく出費をして買ったんだからという思いで、ページをめくると、宝石のように輝いている一文章に出会ったのでした。
独占手記「妹・川上慶子と私の三十年」(川上千春著)・・
川上千春さんとは、川上慶子さんのお兄さんだそうです。
その前に、この独占手記とは何を書いているのか? の説明が抜けておりました。
30年前、1985年8月12日に起こった「日航ジャンボ機墜落」についてです。
正式には、「日本航空 123便」。羽田発大阪行日航機123便。
その日(8月12日)の18時56分、群馬県多野郡上野村の御巣鷹山に墜落し、乗客乗員520名が亡くなりました。
この事故で、川上千春さんは、両親と妹一人を亡くしました。
翌日、奇跡的に救出される12歳の少女(川上慶子さん)の映像は、何度もテレビのニュースで流され、その映像は、私にも鮮明に記憶されていました。
あの事故から、今年で30年。
今年のお盆前の夏は、このニュースで賑わっておりました。
慶子さんのお兄さんの千春さんは、当時中学二年生だったそうです。
家族5人で出かける親の意見に従わず、一人「部活があるから、俺は行かない」と、家に残ったのだそうです。
そしてあの事故。
それから30年。・・家族の事、妹の事、遺された兄妹の事、その後の生活の事、・・ようやくペンを走らせ、心のうちを語ろうと決心したこと。・・
(詳細は省略させていただきます。)
そして、私の胸を打ったのは、千春さんが高校一年の時に書いた、「ぼくの宝石」という、母の思い出と事故の描写を交えた一編の詩です。
「・・母さん 寒くはありませんか‥
そこで あなたの笑顔はいつも消える。
母さん 淋しくはありませんか‥
しかし
僕の中にあなたはいつも生きている。
母さん もう夜はふけました‥
あなたはどうか先に休んでください
僕はもう少し頑張ります。
明日のために
あなたにもらった宝石を失わぬために。」
勝手に一部を載せてしまいました。
すみません。
私は、涙がとまりませんでした。
川上千春さん、手記を書いてくださって、ありがとうございます。
あなたの勇気と決断に、感謝いたします。
そして、すばらしい「詩」をありがとう。
私には、妹の慶子さんが救出されるあの映像が、「エンジェル・ラダー」のように、重なって思い出されたのでした。・・
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