命の教育について・・

先日、10月30日に母親が亡くなりました。亡くなった年を「享年(きょうねん)」と言います。享年とは、辞書によると、人が「天から享(う)けた年数」という意味であり、この世に存在した年数である。とあります。
また、「行年(ぎょうねん)」ともいい、こちらは、「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)の年数」の意味だそうです。
生きるとは、まさに修行の連続なのですね。

母の享年は、94歳でした。

母は年齢も年齢であり、ここ数年は入退院を繰り返して歩けずにいたので、私を含め、家族の間では、母の死は、もうそろそろではないだろうか?という気持ちもあったのです。
しかし、やはり、身近な人の死というのは、特別な感情に支配されるものでした。
94歳というのは、大往生です。むしろ「よく頑張ったね」といった心情です。
知らせの電話で受けたときも、私は涙が出ませんでした。

そんな気持ちもあり、母の死に対して、葬儀までを含めて、私は泣くことはないだろうと思っていたのです。

ところが、お通夜の翌日、霊柩車に乗せられて見送られ、その母の棺の横には、母の遺影を持つ私が座ることになりました。喪主である長男は、位牌を手に葬儀社の人の運転する助手席に座っていました。
霊柩車の中には、運転手を含めて長男と私の3人だけでした。

私は、棺が少しずれ動くたびに、棺に片手を添えて支えていました。
そのうちに、私は棺の中の母と話し始めたのです。
もちろん、声を出さずに、二人は会話をしました。
質問する母に私は答え、私の問いかけに母は答えてくれました。
「母さん、ほら、あそこに、三吉山が見えるよ。・・」
などと。
そして、母のことを思ううちに、私は涙が溢れ出してきたのでした。
母が腹を痛めて産み落としてくれたことを思うと、感謝せずにはおれないのでした。

助手席に座る長男も、私と同じような心境だったのでしょうか。
涙をすすりあげる音が、霊柩車内の静かな空間に、響いておりました。
それが、肉親の死であり、別れの辛さなのだと思いました。
年齢は、たしかに大往生の高齢ですが、思い出の中では、年齢は関係ないことも知りました。

思い出は、歳をとりませんね。

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そして、ここからが今回のタイトル「命の教育」についてなのですが、火葬場という存在、そして、人が死んだ後に、その姿が骨だけになるという一連の流れを、せめて小学生の教育の中に取り入れられないものだろうか?・・などと考えてみたのです。
これは以前から考えていたことでした。

人は誰もが死にます。そして、それを知っておくことが大事なのです。
それには、「死」というものが「何なのか」を知ることが大事なのです。
今は、核家族化とともに、高齢者が増加していることもあり、若いうちに肉親の死に直面するということもあまりなくなりました。
できるなら、小学生の年齢の頃に人の死について考える機会を得るのが一番いいと思うのです。

いま子育てしている若い親も、身近な人の死に直面することもなしに育ち、大人になり、遺体さえ見たこともない親が多いのではないでしょうか。
そこから命の軽視につながり、虐待などが後を絶たない結果を生み出しているとも考えられるのです。
とくに、日本では、死を恐れて、忌み嫌い、触れたがらない傾向が国際的に見ても強く突出している国なのだそうです。

昨日まで生きて動き、声を発していた人が、そこに静かに横たわっている姿(遺体)は、ぜひ若い頃に見せておくことが大事だと思うのです。
そして、死後、人はお墓に入るまでにどのような手順を得て、遺骨という形になることを、眼に見せて知らせることが重要なのです。

とくに棺に入った遺体という人の姿をしたものが、火葬という過程を得て遺骨になるというプロセスだけでも、教育の現場に取り入れられないだろうか?・・などと思うのです。
火葬は見世物でないことは、十分に承知しています。
でも、以前から、私は多くの子供たちに、「命の教育」が必要だと思っていました。
一クラス単位の小学生くらいなら、そう邪魔にもならないのではないでしょうか。かれらを火葬場という空間に入れて、その前後を見学させるという教育です。
あまり若くても教育にはなりません。理想は小学生高学年でしょうか。

参加した小学生の受け取り方は様々でしょうが、きっと命に対する考えが変わり、かれらの成長の過程の中で、有意義な教育となって現れてくるだろうと信じます。
それは「いじめの減少」や、「虐待の減少」につながるものと考えるのです。

私が当事者なら、ぜひお役にたちたいと思います。
そんなことを、今回、私は母の死に直面して改めて考えたのでした。

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