イザベラ・バードの「日本奥地紀行」

明治11年、西洋人女性として、初めて東北を旅行した、英国人旅行家。
明治11年というのは、西郷隆盛の西南戦争が終わった翌年である。

太平洋を横断する長い船旅の末に、イザベラ・バードが横浜に上陸したのは、1878年(明治11)5月21日のことです。(当時イザベラ47歳)

横浜や東京で時を過ごすうちに、彼女の胸には、都会とは違う「本当の日本」を見たいという思いがつのるようになりました。そして、当時外国人にはほとんど知られていなかった「北国」へと旅立ったのです。

この旅の記録は、2年後「日本奥地紀行」(原題『日本の未踏の土地』)としてイギリスで出版され、1ヶ月で3版を重ねるベストセラーとなります。
そこには、西欧化の波に洗われていく以前の日本、彼女が求めた「本当の日本」の姿がいきいきと描き出されていました。

明治11年、横浜から、東京、日光、新潟とたどり、山形のあと、秋田、青森、北海道と踏破して、その後函館から船に乗り、9月17日に横浜に戻りました。

日本人通訳一人をともない、行く先々で、村人の好奇の視線を浴び、駄馬に痛めつけられ、道は途切れ、道なき峠を越え、橋は流され、蚤やしらみ、蚊に悲鳴をあげながらも、「本当の日本」の姿を求めて忍耐強くたどったその旅は、全行程1600km。3ヵ月余りにもおよぶ大旅行でした。
(★東北の旅を案内したのは、伊藤鶴吉18歳と記録にあるそうです。)

そのような悲惨な旅の中で、山形県の置賜地方(米沢盆地や平野部)をアルカディア(理想郷)と絶賛し、赤湯温泉の湯治客姿に強い興味と関心を抱き、また日本人の田畑で働く姿にも賞賛の声を上げています。

また、「日本奥地紀行」には以下のようにも書いています。

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私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。

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★イザベラバードが歩いた東北と北海道の道のりは、以下の図参照

【イザベラ・バードの見た世界】
1854年、イザベラ・バードは、アメリカ、カナダの旅に出ました。
イザベラ22歳。彼女にとって初めての大きな旅行でした。
しかし、旅行家として彼女がその本領を発揮し出すのは、むしろ中年を過ぎてからのことです。40歳から69歳までの30年間に、オセアニア、ハワイ、北アメリカ、アジア、アフリカなどの、いわゆる「辺境」の地へと次々に大旅行を行いました。
そして、旅先で見聞きした風俗や景観、自然現象などを、そのつど旅行記として世の中に紹介したのです。
こうした功績が認められ、イザベラ・バードは1893年、女性で初めての英国地理学会特別会員に選ばれています。

(山形県南陽市ハイジアパーク内、イザベラ・バード記念館資料より抜粋参照)

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