そして、飛行少年になった・・

若かった私は、ラジコン飛行機に満足できず、ついに本物の飛行機に乗ってしまうのです。・・
時代は、1968年です。21歳になった私は、日本飛行連盟という組織の会員となり、飛行訓練を受けることになりました。


(21歳頃の飛行少年の私。非行少年じゃありませんよ:笑)

現在はどうなのか知りませんが、当時は山形の飛行場まで、となりの宮城県から、指導員がセスナ機で指導にやって来てくれました。指導は30分単位で申し込みができ、私は一回あたり2回分の1時間で申し込んでいた記憶があります。


(写真は、自宅裏に田んぼが広がる写真。右上には上山駅が。この田んぼでラジコン飛行機を飛ばしたのでした。現在は田んぼはありません。住宅地になってます。)

実技指導飛行40時間を超すと、パイロット試験が受けられるような仕組みだったと思います。
もちろん学科もあります。(航空法など、勉強したなぁ)


(1968年頃の上山市上空。まだ上山城はありませんよ。お城は昭和57年:1982年に建ちました。町中を流れる前川が反射して光っています。手前の大きな河原は須川です。)

しかし、26時間を越した辺りから、日本はオイルショックに見舞われてしまい、燃料高騰で、飛行訓練を続けることができなくなりました。(残念!)


(当時の上山駅前の上空写真。山形交通のバスがいっぱい並んでますね。バスが主流の時代でした。・・あ、この写真は、機体を真横にして撮ったものです。身体が落ちそうになりながら・・高度150m位でしょうか)

これらの写真は、今は私の夢が破れた記念碑的な写真となっています。
恥ずかしながら、載せてみました。少しは昭和の貴重?な記録資料かも。・・(ブログ初公開です)

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