「浮雲」(林 芙美子著)

再読になるが、こんなにもすごい小説だったのかと、今回あらためて思った。
ゆき子が亡くなる最終章のところで、涙がにじんできた。
こんなことは、あまりない私は、これだけでもすごい小説だと、感動してしまったのです。

この小説を読んでみて、この小説の大きな特徴は、主人公が複眼的に入れ替わるという手法がとられていることでした。言い方をかえれば、登場人物が皆主人公になる。もう少し詳しく説明すると、主人公がしょっちゅう入れ替わる。そんな小説です。

もちろん、本当の主人公は、ゆき子であり、その脇役として富岡がいる。
しかし、この作者は、登場人物すべてにその胸のうちをあらわにして読者に提供する。そういう意味では、通常の小説にしかなれていない読者は、読んでいて忙しく感じる。雑多に感じる。
しかし、それはそれで受け入れて読みすすめると、かえって理解が深まって、ここちよい。ただ、そこまで暴露しなくとも・・なんて思ってしまうような箇所もある。しかし、人の心の奥には、山脈のように、多くの襞(ひだ)がいりくんでいるのだということも思い知らされる。
それはそれで、この作品の奥深さを物語っているようで、かえって味わい深い作品に仕上がっているのだ。
それが、この作者の意図するところなら、やはり、林芙美子という作家の技量の高さを賞賛するばかりである。

それでは、作品について、私の見解を述べてみます。
この作品には、大きな成功要因が3つあるのです。

1つは、なんといってもこの作品の背骨的な、要所要所で登場する、南国仏印(ベトナム)の風景であり、安南の人と光景である。敗戦後の荒廃する日本の国土と相反する夢のような亜熱帯の森と風土。そして、そこでの暮らし。思い出。ランビァンや、ダラットなど、何度も何度も繰り返し出てくるそれらの異国の地名が、ここちよい音楽のような、背景効果を出している。そして、現実の日本での生活。その混乱と荒廃の中に生きる対比が、とてもこの作品を奥深く豊かなものにしている。

2つめは、宗教を取り入れたことだ。大日向教という怪しげな宗教集団を登場させ、その内部まで詳しく書いている。そして、ここでも、その怪しげな新興宗教と対比させるかのように、マタイ伝など、キリスト教の聖書の一節なども登場する。そしてそれが、また面白く、いい味を出している。

3つめは、登場人物だろう。ゆき子にとっての加野や伊庭。富岡にとってのニウやおせい。これらの人達とのかかわりが、人間社会の縮図をみるかのように、描かれている。

私は、この「浮雲」を読んで、仏印(ベトナム)へ行ってみたくなりました。
1951年に書き上げられた作品でありながら、今書かれた作品といってもいいほど古さを感じさせません。良い作品は、年をとりませんね。

この「浮雲」は、林芙美子の晩年の作品である。
1949年11月から1950年の8月まで雑誌『風雪』に、同年9月から51年の4月まで雑誌『文学界』に連載されました。そして、その約2ヶ月後の6月29日午前1時、この作者林芙美子は心臓麻痺のため死去しました。享年47歳。
ご冥福をお祈りいたします。

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