「放浪記」について・・

林芙美子の代表作「放浪記」。
彼女を世に送りだしたともいえるこの作品は、1922年(大正11)芙美子19歳から1926年(大正15)芙美子23歳までの5年間の日記である。この日記は、粗末な6冊の雑記帳に書きためられていたという。
また、「放浪記」の原型は「歌日記」と題する日記であるとも伝えられている。
そういわれれば、「放浪記」の中には「詩」がとても多い。
いずれにしても、その原本は、作者により破棄されたともいわれ、現在まで見つかっていない。
林芙美子は生前、自分が亡くなる時は、この「放浪記」も絶版にするつもりである。・・と言っていたという。
この点は、石川啄木と共通していて、よく引き合いに出される。
石川啄木も、その死後、膨大な日記をただちに焼却するように妻に遺言していたという。しかし彼の妻は、それを実行せず、その結果発表されて、いまでは啄木の最もすぐれた作品の一つになっているのだ。

林芙美子の日記といっても、毎日書かれたものかどうかは定かではなく、発行された「放浪記」も、その日時がかなり飛び飛びで、その空白の部分には何があったのかが、かなり気になる日記でもある。また、一日が一話ともいえるような長い文章で構成されている部分もかなりあり、それらを単に日記ととらえてよいものかも迷うところである。
それらは、出版するに当たって、雑誌発表にふさわしい部分を抜き出して編集したためかもしれない。

それと、それは、もしかしたら彼女のこの「放浪記」を書いた時代背景が関係しているのかもしれない。
当時の日本は軍国主義の最中であり、検閲もかなり厳しく、削除、発売禁止、起訴、投獄などが周辺に渦を巻いていたという。そのためにかなりな部分が間引かれたのかもしれない。
実際、戦時中は、この放浪記は絶版となっていた。

この「放浪記」の出版は、3部に分かれている。
1部から3部までが時系列に順を追っているのではなくて、同時期のものが、3部に分けて分類され、それぞれが重なり合っている。
その中で、1部と2部は連続して出版されたが、3部というのは、検閲に引っかかり発禁処分を受けていた部分であり、その3部だけは終戦後に発表されている。

以下に「放浪記」の刊行をリストアップしてみる。
1930年7月(芙美子27歳)、「改造社」より新鋭文学叢書の一冊として「放浪記」(『九州炭坑街放浪記』を併録)を刊行、50万部が売れる大ベストセラーとなる。
1930年11月、『続放浪記』を「改造社」より刊行。
1949年1月『放浪記・第三部』を「留女書房」より刊行。

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ここからは、「放浪記」の私の感想です。この作品も再読です。

それにしても、日記が作品になるということは、珍しいことです。
それがまた、60万部(1部と2部で)ものベストセラーになるというのも珍しいことです。現在の人口比率からいえば、100万部を超える大ベストセラーといえるでしょう。

まず最初に「放浪記」を読んだとき、私は「蟹工船」が頭に浮かびました。
主人公は共に貧しく、貧困のどん底にあり、地面をのた打ち回っているからです。
蟹工船は男が主人公でしたが、放浪記は女が主人公です。
だから、女版「蟹工船」といったイメージがありました。
それら報われない女たちの労働に、プロレタリア文学の臭いがしたせいかもしれません。
しかし、読み進めていく中で、イメージが次々と変化して行きました。
それはやはり、放浪記は、女でなければ書けないモノだと感じた点です。
これは「蟹工船」ではないな、と。

それにしても、やはり、なんとこの人(林芙美子)は、わがままで、自由奔放に生きていることか。・・という印象がぬぐえません。
でも、それは、見方を変えれば、自分の夢の実現のための、ひたむきな生き様ということも言えなくはないのです。

たしかに彼女は、貧困の中にあっても、少ない手持ちの金の中から、小説や文学作品を読むのに多くの時間と金銭を使っているからです。どこかで醒めた眼を持って世の中をながめられたのは、こういう勉学による自信があったからなのかもしれません。

おもしろいのは、林芙美子が小説を手がけることに対する戸惑いや不安が、この日記の随所に出てくることです。
当時、童話や詩作を主な執筆活動にしていた彼女にとって、小説はかなりな高いハードルであったことが感じられます。
その辺の心境を、素直に書いてあるところは、文学上の貴重な資料といえるかもしれません。

ところで、冷静に林芙美子という一作家を省みてみると、貧困で不幸な女というレッテルとは、いささか食い違う点が見受けられることに気づくのです。
たしかに「放浪記」の中では貧しい暮らしにのた打ち回る若い女を見せつけられるのだが、この作品が50万部のヒットを飛ばした当時の彼女の年齢はまだ27歳なのである。
むしろ、林芙美子は、幸せな女なのである。
まあ、それは彼女自身が売れてつかんだ幸せなのであって、一概に「なあんだ」というわけにもいかないのであるが、貧しく不幸な家に生まれ育ち、貧困の中に青春時代を過ごした。・・という「不幸な女」というレッテルは、意外にも早く取り払われた、幸せな部類の女性なのでした。

そして彼女は、当時としてはまだ珍しい、海外にも度々行っているのです。遠くはヨーロッパまでも行っています。

現在は、ネット社会ということもあって、ネットで調べれば簡単にその人(著名人)の情報が見られたり調べたりができるようになりましたので、その人の印象や評価にも変動を来たすこともあるかもしれませんね。

今回、この記事を書くにあたって、再度ネットで調べてみたところ、おもしろいというか、貴重な証言のサイトを見つけましたので、以下に紹介したいと思います。

「林芙美子の実説『放浪記』」という記事です。

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