「人生の旋律」・・プライバシーって?・・

1月31日は、義姉さんの命日でした。義姉さんといっても、私より一歳年下です。
義姉さんの名前はJさんといいます。
Jさんは、私の長兄の奥さんで、ちょうど4年前の1月31日に、60歳で亡くなりました。
私は、今年の1月31日に、このJさんのことを記事に書いて、Jさんの4回忌のお弔いにしようとキーを叩き始めたのですが、やはり、辛いことは躊躇するものですね。「やはり、やめよう」などと、途中でやめてしまいました。

その代わりといってはなんですが、今は一人暮らす長兄に、元気をつけてやろうと受話器を持ったのですが、今度は何といって元気づけたらいいのかが浮かびません。
ついに電話もしそびれ、Jさんの4回目の命日は、あっという間に通り過ぎてしまいました。

先月中頃、兄を訪ねたときも、「まだ、Jが死んだなんて信じられずにいるよ。毎日Jの夢ばかりを見る」などと、もう4年にもなるのに、気弱に語る長兄がいたのです。
長兄は、Jさんよりも6歳年長者で、今は70歳になります。
だから、もしJさんが生きていたら、64歳になっていたわけです。

などと、私は淡々と書きだしましたが、ここに至るまでも、かなり、こころの葛藤がありました。
つまり、小説でいえば「私小説」にあたる部分です。
私小説は、私も好きな分野で、著名な作家の私小説はかなり読んだものです。
そして、好きな作家の私小説を読んでその作家の育った背景などを知るのですが、面白いと思うと同時に、その作家の周辺の人たちが丸裸にされてしまうことについて、「ここまで書いて、その人の家族ばかりか、親類縁者ともうまくやっていけるのだろうか?・・」などと、心配になったりしたことも覚えています。
友人知人と違い、家族や親戚とは、顔を合わす機会も多いですからね。
しかし、作家というか、物書きという職業を選択した者が家族や身近に存在する人は、いつ自分が丸裸にされるかということを、ある意味覚悟した方がいいのかもしれません。

それにしても、本当に私小説を書く作家の先生方の、そのバイタリティと心労には頭が下がります。
ある意味、書かれた人たちからの、プライバシー侵害を訴えられる場合も、皆無ではないでしょうから。
実際は、私はそのような訴訟沙汰を耳にした記憶はありませんが、もしかしたら、表に出ないだけなのかもしれませんね。
「この恥さらし・・」などと、いわれているのかもしれません。

私も、もの書きを志した者として、この部分はいつもネックになる部分でした。
書きかけた作品も、その登場人物で、書かれた人に迷惑をかけるのではないだろうか?、などと考え、途中で投げ打ってしまったことも数多くありました。
あの人が元気なうちは書けないな。とか、生きているうちは書けないな。とか。
いわゆる、私は意気地なしなのかもしれません。

とはいいながら、今年のJさんの4年目の命日を迎えて、どうしてもJさんのことを書いてみたいと思ったのです。
それは、長兄とJさんの間には3人の娘たちがいるのですが、その娘たちも知らないままでは、なにかJさんも忘れ去られていってしまうというような、変な気持ちを抱いたからでした。
それは、なにも私がいまさら書きとめることでもないのかもしれません。
娘さん達からしてみれば、そっとしておいて欲しいといわれるかもしれません。

それでも、私は今回書いてみようと思ったのは、両親という二人の出会いというものに、私はかなりな部分でかかわっているという点と、そのことについて、私は3人の娘さん達に一度もその事について話したことがないからでもあるのです。
娘さんたちの存在にかかわる、両親のなりそめと結婚につながる話は、やはり、ここで知っておいてもいいのではないか、と思ったからでした。
それは、もしかしたら、私の年齢も、残された年数を数える年齢になったからかもしれません。

そんなことで、今回は、やはりJさんのことを書いてみます。
二人のなり染めは、長兄がある日、友人のグループに誘われてドライブに行った折、そこに参加していたJさんをみそめてしまい、惚れてしまい、ひとり悶々と悩んでいたことからはじまります。

そんな長兄の悩みを知り、それならばと、私が橋渡し役を買って出て、私はJさんの職場に電話をしたのでした。
退社後にJさんに話をきいてもらう時間を作ってもらい、そしてその時、私は長兄の想いをJさんに伝えたのでした。

その前に、弟である私は、一人悶々とする長兄に対して、こんな台詞を吐いたのを覚えています。
「Jさんに、兄の気持ちは伝えるけど、Jさんが断ったら、兄も男らしく、はっきりと諦めろよ!」
などと、映画のワンシーンのような、生意気なせりふをはいたのでした。
そういえば、当時は、石原裕次郎というスーパースターの映画が流行っていました。

気弱な兄は、一瞬、瞳を輝かせて、それでもいいから・・のような顔を見せ、「余計なことはするな」などとは言わず、私の行動に期待しているふうでした。

その時の私の行動は、長兄にとっては大きく運を引き寄せた結果になり、二人はそれを機会に付き合うことになったのです。
しかも、二人の間はとんとん拍子に深まり、付き合って一年後には、二人の間で結婚まで話が進んでいたのでした。

しかし、結婚とは、そんなに簡単なことではありません。
しかもJさんは長女であり、下に妹と弟もおり、年齢も結婚を急ぐ歳でもないしで、両親の許可が簡単に下りるわけがありません。

それに、長兄は父親がはじめた商売の跡取り息子であり、その点も、向こうの意向に反する要素らしいのでした。
つまり、Jさんの両親は、商売の家へ嫁に出す気はなく、どうしても嫁に出すとしても、安定した収入のあるサラリーマンに嫁がせたいという考えがあるらしかったのです。

二人の間では結婚まで愛が深まっても、長兄は、またもや暗礁に乗り上げた形で、悩んでおりました。
これまで二度Jさんの両親に挨拶に行ったけど、一度目は部屋にさえ通してももらえなかったというのです。
二度目には、Jさんの母親は部屋に上げてくれたけど、父親はついに姿を見せず、Jさんの両親はかたくなに反対の態度を崩さなかったというのです。

そんな長兄は、何をどうしたらよいのかが分からず、食欲も減少し、やせ細っている状態でした。
「でも、二人の愛が本物ならば、そのうちにきっと許してもらえるよ」
などと、弟の私は、長兄に対していったものの、その先はまさに闇でした。

そんなおり、またまた私の橋渡しのおせっかいの気持ちが高まったのでしょうか。
でも、そういうおせっかいな行動をしたことを、私はすっかり忘れてしまっていたのです。

それが、4年前のJさんの葬儀のおり、葬儀の後の親戚の食事会の席で、近くに座っていたJさんの弟さんが私に言うのです。
「Mさんが私の家に来て、長兄とJの結婚を許してもらえませんか・・なんて、うちの両親に言っているのを、私は襖の後ろから見てたんですよ」

弟さんは、当時まだ高校2年生だったそうです。

私は、「えっ、そうだっけ?」などというしかありませんでした。
「そうですよ。今もしっかり、そのときのMさんの姿が眼に焼きついていますもん」
今は、頭の毛も薄くなりかけているJの弟さんは、そんなことも忘れているの?、というような顔をして、私の顔を覗き込んだのです。

ああ、そうだったかも・・などと、私も薄雲が晴れるように、当時のおせっかいな行動を思い出したのでした。

そして、その後の二人に結婚の道が開かれて、Jさんは、商家の我が家へと嫁いで来たのでした。
Jさんが21歳の頃の話です。
その後に、二人の間には、3人の娘達が、次々と生まれていったというのが、Jさんと長兄との結婚エピソードです。

ここまで書いてみて、なんだ、プライバシーも何もないではないか。などと思いながら、読み返しています。
それと、書かなければならないという大げさなものは何もないではないか、という気持ちもあります。
でもなぜか、私は書かなければならない、と、真剣に思ったのでした。

しかし、追記という形で付けたししますが、もしかしたら、ここの部分はプライバシーに当たるかもしれません。
それは、Jさんの父親と、あの超有名な女子3人組グループ歌手(キャン○○○ズ)のセンターで歌っているRさんの祖母が、兄妹であるということです。
Rさんの祖母が、Jさんの父親の妹であり、グループ解散前後に、数回我が家へ来たことがありました。Rさんではなく、Rさんの祖母の方がです。Rさんと似ていて、とても美人で穏やかで優しい方でした。

でも、Jさんの遠縁に当たるRさんも、Jさんの父親が県内では有名な賞を受賞したおり、その授賞式のホテル会場に、身内として顔を出して賛辞を述べたのは、当時の地方紙では新聞記事内でも紹介されました。
そのRさんの女子グループが、今も伝説となっている後楽園球場での解散式を行った3ヵ月後の話です。(解散したから来られたのかもしれません。)

Jさんの両親も、もう既に他界し、Rさんの祖母もだいぶ前に亡くなっております。
私の長兄も、Jさん亡き後に、大きな手術を2回もやりました。

ここで、今回の記事は終わりにします。
しかし、プライバシーとは、一体何なんでしょうかね?
カミングアウトでないことは確かな気がします。

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