「ガラスの動物園」(テネシー・ウィリアムズ)

夫に逃げられた主婦のアマンダ。安アパートの裏部屋に二人の子供と共に住んでいる。貧しい中にも娘(ローラ、幼児期の疾病がもとで片脚が短く、びっこをひいている。そのせいで内気であり、今は仕事もしていない。)と息子(トム、倉庫で働いている)を立派に育て上げようと工面し、また工夫する。
しかしアマンダは盲目的に子供たちを愛するあまり、自分の夢を子供たちに押しつけ、結果的に無理解な母親として子供たちに映り、特に息子トムからは反感さえ買ってしまう。その母親が騒げばさわぐほど、母親のエゴイズムと、子供たちそれぞれの個性がぶつかりあい、母親の望むものと反対の方向へと物語りは進行して行くのである。

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今回も私の書棚にある古い本の再読になるが、今回の「ガラスの動物園」を再読してみて、この作品が1944年に書かれたことにまず驚いた。
その年代の背景さえ考慮しなければ、現代の物語だと錯覚さえしてしまう。
良い作品とは、そういうものなのかもしれない。

最近は、作品ももちろんだが、作者というものに興味がわき、作者の人物像を知りたがる傾向が強くなった。
そのようなわけで、以下に作者「テネシー・ウィリアムズ」についてもできうる限り書いてみた。
作品と作者は切り離せない・・と、最近はとみに思う。

【作者:テネシー・ウィリアムズについて】
1911年3月26日、アメリカ合衆国のミシシッピー州コロンバスに生まれる。
父親は製靴会社のセールスマンで、作者が12歳のときに父親の転勤にともなって、一家はミズーリ州セントルイス市へ移る。
ミズーリ大学2年のとき、経済的な理由から退学して、父親と同じ会社に勤めることになる。仕事が終わってから、夜遅くまで詩や小説を書いていた。しかしその無理がたたり、体をこわしてしまう。そのせいで会社を辞めた。
それでも書いていたのか、ぼちぼちと書いたものが売れるようになり、生活のめどがついた頃、アイオワ州立大学に入り、演劇を専攻し、1938年に卒業する。
大学卒業後は就職をせずに、給仕をはじめ、さまざまな半端仕事をやりながら創作をつづけて、1940年、ロックフェラー財団の奨学資金を受け、劇作に専念することになる。
しかし、その後も苦しい生活はつづき、エレベーターボーイ、映画館の案内係などをやって食いつないでいるうちに、メトロ映画会社に雇われる。
そこの給金を貯めこんで、映画会社を辞めてからも生活苦から逃れられ、その時に書いたのが「ガラスの動物園」である。
「ガラスの動物園」は、1944年12月26日、シカゴで初演をすると、翌年にはニューヨークへ進出し、非常な好評を得て、1年半にわたるロングランをつづけ、様々な賞も受賞して、地方公演がつづき、異例の上演回数を記録する。
この劇により、ウィリアムズは、戦後アメリカ劇壇第一の有望な新人と認められ、一躍その名をアメリカ中、また世界中に知られるところとなった。

その後の主な作品には、以下のようなものがある。
・「欲望という名の電車」(1947年)
・「バラの刺青」(1950)
・「やけたトタン屋根の上の猫」(1955)

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